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あれ、これ、それ……機械翻訳はどこまでわかる?

アレやソレを多用してものを指し示すのがクセになると、とっさにものの名前が出てこなくてやっかい。おまけに、アレやソレで相手に通じると思ってたらそうでなかった、というミスも起こりがち。

この「アレソレ問題」、人間だけではなく機械翻訳にとってもなかなかに難題のご様子。

今回の原文は、Yew York Review of Booksツイッターのつぶやきから

Teddy Roosevelt “got down on his knees before us” begging for contributions to his 1904 presidential campaign, Henry Clay Frick said. “We bought the son of a bitch but he didn’t stay bought.”

実はこの文章にはさらなる元ネタがあり、元をたどれば1900年代初め頃、アメリカでセオドア・ルーズベルトが大統領の座に着いた時代にまでさかのぼります。

当時のアメリカは巨大企業の権力が拡大していた時期でした。企業は合併を繰り返して肥大化を進め、1904年の段階でわずか318の企業がアメリカの総生産の40%を占め、78もの業界で1社が総生産の半分以上を生産しているという状況。こうなると、大企業が消費者に不利な価格を押しつけたり、中小企業に圧力をかけたりするようになってよろしくないのはないか、という声が上がってきます。

これにメスを入れたのがセオドア・ルーズベルトです。大統領に就任した彼は鉄道、牛肉、石油、タバコ産業の寡占状態を解消。またジョン・ロックフェラーが設立した巨大石油会社スタンダード・オイルを34の会社に分割するなど、不合理なトラストの解体に尽力しました。

そんなルーズベルトですが、大統領選挙の際には大企業からの献金を受け取っていました。その上で巨大企業の力をそぐような政策を進めたのだから、献金した側が面白く思うわけがありません。上記の文章は当時の巨大企業USスチールのトップであったヘンリー・クレイ・フリック(Henry Clay Frick)が、ルーズベルトの手のひら返しについて語った言葉がもとになっています。もちろん内容は、ルーズベルトへの恨み節です。

それでは訳文を見ていきましょう。

Google翻訳

テディ・ルーズベルトは1904年の大統領選挙運動に貢献してくれることを懇願している、と私たちの前で膝をついた。 「私たちは雌の息子を買ったが、買っていない」

エキサイト翻訳

彼の1904大統領キャンペーンへの寄与を求めている「彼の膝に私達の前に降ろされる」というテディルーズベルトと、ヘンリー・クレイフリックは言った。「私達は野郎を買ったけれども、彼が買われるままでいなかった。」

今回もそれぞれ特徴ある訳文ができています。ここからは訳文のポイントを見ていきましょう。

Son of a bitch

まず注目したいのは「雌の息子」という訳語。Google翻訳には珍しい珍奇な訳語で、原文は「son of a bitch」。これは「クソ野郎」などと訳される、アメリカではポピュラー(?)な罵倒です。

「Bitch」は本来雌犬という意味の名詞で、直訳すれば「雌犬の子」となります。いつから使われ始めたかには諸説あるそうですが、古くは17世紀から使われていたというなかなかの古株。1605年に書かれたシェイクスピアの代表作の一つ『リア王』にも、「Heire of a Mungrill Bitch(雑種犬の落とし子)」という、似たフレーズが登場しています。

憎々しい感情混じりの罵声ということを考えると、エキサイト翻訳の訳文は及第点の少し下と言っていいでしょう。「野郎」という言葉は確かに無礼な言い方で、憎い相手を指して言う場合もあります。しかし、この「son of a bitch」はルーズベルトを指す言葉。可能であればそれを明快に示すため、「あの野郎」とでもした方がもっと良くなります。

かたやGoogle翻訳は、イディオムを無視した非常に直訳調の訳文になっています。「雌の息子」とはなるほど聞いていて気持ちのいい表現ではありませんが、罵倒かと言われるとピンと来ません。

どうしてこうなったのか? 鍵はどうやら、定冠詞の「the」にあるようです。

この文中では「son of a bitch」に定冠詞をついています。「the」がつくことで文中の「son of a bitch」がそれまで文中に出てきた人物、つまりルーズベルトを指していることが示されているのです。念のため「the」を外した「son of a bitch」だけをGoogle翻訳にかけたところ、きちんとイディオム通りの「クソ野郎」という訳語が帰ってきました。

どうやら定冠詞がついたことで、本来「the / son of a bitch(あの/クソ野郎)」とすべきところを「the son / of a bitch(息子/雌の)」と切り分けて訳してしまったようです。ちなみに「the」を「a」に直して訳させたところ、やはり「雌の息子」という訳文に。

日本人が英語を学習する場合、「the」や「a」の使い方が鬼門と言われます。どうやらGoogle翻訳もネイティブ同然に文章を理解しているわけではなく、「the」や「a」には苦労している様子。

これを正確に訳文に反映するためには、「the」が何を指しているか、文中をさかのぼってそれ以前にどんな名詞が登場し、どれが「the」の指し示す対象として可能性が高いか、という文脈の理解が必要になるでしょう。ルーズベルトを指して言い放ったはずの「the son of a bitch」を、具体的に誰を指しているかわからない「雌の息子」と訳するあたり、Google翻訳はまだ文脈理解に難があるとみていいかもしれません。

He didn’t stay bought

ここの訳語もGoogle翻訳は問題ありです。訳文では「(買ったが、)買っていない」となっていますが、これでは取引が成立したと思ったらそうではなかったようなニュアンス。ところが「stay」という単語があることを考えると、どちらかといえば一度成立した取引を破棄された、という方が近いのです。

後半に出てくるフリックの言葉は、「かつて自分たちはルーズベルトを金で買った(≒金を掴ませて言うことを聞かせた)が、(ルーズベルトは)買われっぱなしではいなかった(≒後になって言うことを聞かなくなった)」ということを苦々しく語る言葉です。

ルーズベルトは確かに一度金で買われ、買った側の言うことを聞く状態になった。買った側はその後もルーズベルトが買われっぱなしのままでいる(stay bought)と思ったが、実際には逆らってきた。このことを語っているのですから、これは取引の不成立ではなく、取引が成立した後でルーズベルト側が破棄してきたというわけです。

エキサイト翻訳の訳文はこの部分を「彼が買われるままでいなかった」と訳していますが、ニュアンスの再現はこちらの方が正確ですね。

引用符で囲まれた部分の取り扱い

Google翻訳とエキサイト翻訳の訳文の間には、文の一部なのに引用符で囲まれた部分の扱いについて大きな隔たりがあります。

原文の「”got down on his knees before us”」という部分はルーズベルトの行動を描写する文章の一部でありながら、同時にフリックの発言でもあるのです。引用符がなければこれは単なるルーズベルトの行動の描写として訳せるのですが、これが発言であることを踏まえると、引用符内は語り口調で訳すべきでしょう。

全体の意味としては、「1904年の大統領選挙への献金を請うたルーズベルトは「我々の前で膝をついたんだ」(と、ヘンリー・クレイ・フリックは言った)」となるでしょうか。

Google翻訳を見てみましょう。「私たちの前で膝をついた」の部分が引用符内の訳文ですが、この訳語ではあたかも引用符などないがごとく、ただルーズベルトの行動を描写するだけの文章になっています。ルーズベルトが「懇願」し、誰か別の人が「私たちの前で膝をついた」のか、あるいはルーズベルトが「懇願」しつつ「膝をついた」のかはっきりしない訳文ですが、引用文のニュアンスはすっかり無視した上で訳しています。

エキサイト翻訳は逆に、引用符を残したままの訳文。とはいえ、引用符に当たるカギ括弧の文節が前後関係を無視して唐突に挟まれた形になっています。内容も支離滅裂で、「懇願する」ルーズベルトが「膝をつく」というニュアンスは読み取れません。

判断が難しいところですが、エキサイト翻訳は引用符で囲まれた部分を一度文章の前後から切り離し、個別に訳した上で文章中に挿入したような印象があります。

試しに原文から引用符を除いた文をエキサイト翻訳にかけると、「テディルーズベルトは、彼の膝に、私達 彼の1904大統領キャンペーンへの寄与を求めている の前に降りた」となりました。引用符内に囲まれていた「got down(降りた) on his knees(彼の膝に) before us(の前に)」の語がばらばらになっているのがわかります。どうやらエキサイト翻訳は、引用符内の言葉はひとまとまりの文節として固めて訳文を作り、引用符外の前後関係とは切り離して訳文を作る場合があるようです。

自作の訳文&まとめ

これらを踏まえて書いた自作の訳文は次の通り

1904年の大統領選挙への献金を請うルーズベルトは「我々の前に膝をついた。金で手綱を握ったと思ってたら、あのクソったれめ、いつまでも大人しくしてはいなかった」と、ヘンリー・クレイ・フリックは言った。

あの日あの時あの場所で……と言う時には要注意。どの日どの時どの場所か、相手はちゃんと了解しているでしょうか? そうでないなら、いったいどの日どの時どの場所なのか、手がかりになるような情報をちゃんと示しておきましょう。そうすれば、きっとわかってくれるはず。

「アレ」や「コレ」などが何を指すのか、文脈から推測する能力にかけては、人間はまだまだ誇っていいみたいですから。

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