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19世紀イギリスでは、「主婦」は何をする人だったのか?

海外旅行が今ほど一般的ではなかった100年前には、「世界」という言葉から人々が抱く印象も今とは大きく違っていたことでしょう。このように辞書にある言葉の意味は変わらなくても、言葉に人がどんな意味を込めるかは時代によって大きく変わってきます。
発言者はいつどこにいた何者なのか――今回は、そうした情報がなければ訳しえない文章を扱ってみましょう。

今回の原文はWikiquoteより、以下の文章

There is no contemporary English writer whose works are read so generally through the whole house, who can give pleasure to the servants as well as to the mistress, to the children as well as to the master.

これは19世紀イギリスのジャーナリストであるウォルター・バジョットがチャールズ・ディケンズの小説について語った言葉です。チャールズ・ディケンズはバジョットと同時代を生きた作家で、『二都物語』や『クリスマス・キャロル』などの作品が今でも読み継がれています。ディケンズ自身の作品を読んだことはなくとも、ディズニーが『クリスマス・キャロル』を原作として制作した『ミッキーのクリスマスキャロル』を見たことはあるという人もいるのではないでしょうか。

Google翻訳の訳文は以下の通り。

現代英語の作家はいませんが、家全体を通してこのように一般的に読まれています。従業員だけでなく、女人、子供、そしてマスターにも喜びを与えることができます。

ここからは訳文のポイントを見ていきましょう。

There is no contemporary English writer

Google翻訳の訳文は「現代英語の作家はいませんが」となっていますが、ここには重要な部分が抜け落ちています。それは「whose」以降の文節。

「whose」以降の文節は、「contemporary English writer」を修飾している修飾節です。Google翻訳の訳文は現代英語の作家が一人もいないような日本語になっていますが、本来はこの修飾節で描写される条件に合った作家がいない、という風に訳されるべきです。

なのでここは「家庭にいる誰もにここまで広く読まれているような現代イギリスの作家はいない」というような訳となります。

Through the whole house

「家全体を通して」と訳されたこの箇所。「house」の訳を単に家ではなく「家庭」としたほうがいいと思います。

前後の文脈を見てみましょう。これは、ディケンズの作品の特徴について語っている箇所の一部です。ここで使われる「through」は「~の全体で/いたるところで」と解釈できるので、ディケンズの作品は「家のいたるところで読まれている」と語っていることになります。

「家のいたるところで」という言い方はなんとなくしっくり来ません。つまりこれはどういうことなのか?

またも文脈を読む必要が出てきます。今度は後の部分に注目すると、「children」や「master」といった家族の成員がディケンズの作品を楽しんでいるという旨が語られています。つまり「家のいたるところで」とは、「家庭にいる誰もが(ディケンズの作品を読んでいる)」ことを言い表しているのです

読書をするという主体はあくまで人間です。そこを考えるとこの「house」を単に「家」とするよりは、人の集団というニュアンスが強い「家庭」という訳語の方が文脈に沿っているのではないでしょうか。

人称について

この文章の後半には、「servant」、「mistress」、「children」、「master」など、19世紀のイギリスの家庭を構成する人が列挙されています。Google翻訳はそれぞれ「従業員」、「女人」、「子供」、「マスター」と訳していますが、この訳は本当にこれでいいのでしょうか?

その疑問に答えるためには、発言者であるウォルター・バジョットが生きていた19世紀イギリスの家庭の様子について知る必要があります

当時のイギリスは、男女の役割分担が厳密に規定された社会でした。一家の大黒柱たる夫は外へ働きに行き、妻は家に残って家事全般を取り仕切る立場です。家事を取り仕切るといっても、ある程度裕福な階層であれば家には召使いがおり、そうした家庭での妻の役割は召使いの監督役だったそうです。

こうした知識があれば、それぞれの語を訳す上でとても助けになります。

まず「servant」は「従業員」よりも「召使い」や「使用人」とした方が自然だとわかります。次の「mistress」は、辞書を引けば「女性」や「女主人」といった単語が対応していますが、家庭の中で家事を担当する「主婦」あるいは召使いを雇えるほどの家庭であることを反映した「奥方」という訳が妥当でしょう。最後の「master」は家の主人である夫なので、「主人」あるいは「家長」の訳が当てはまるはず。

これらを踏まえて、人間が訳した文章は以下のようになりました。あくまで一例なので、他にもっと適格な訳し方はあるはずですが、参考までに。

現代イギリスの作家のうち、家庭の中でこれほど広く作品が読まれている作家は他にない。使用人も、主婦も、子供も、家長も、みな作品を楽しんでいる。

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