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SF小説の大家があばく、機械翻訳の弱点

文章全体の構成

文全体の意味を表現することにかけては、Google翻訳もエキサイト翻訳も今一歩力及ばず、という印象でした。ポイントとなるのは文の最後にある「should be」の部分。

この「should be」だけだと、「~であるべきだ」という意味になります。これは省略した書き方で、本来ならこの後に動詞が入ります。動詞と断定できるのは、名詞が入る場合だと何らかの代名詞が入っているはずだからです。

ここで省略されている単語は「replaced」という動詞です。英語は同じ言葉を繰り返して使うのを避ける傾向があり、この部分はすでに文中に出ている「replaced」という単語を省略しているのです。英語の文章は同じ単語を省略する傾向があるということがわかっていれば、文中でそれ以前に出てきた動詞をチェックすれば、なんの動詞が入るかおのずと推測できるのです。

なので、文全体の意味としては「機械で置き換えられるような教師は全員置き換えてしまえばいい!」というぐらいの意味になるでしょうか

エキサイト翻訳はこれを表現できていません。「どのような先生でも」から突然「であるはずである!」に不自然なつながり方をしています。あたかも「should be」の部分だけをそれ以前と切り離し、この2単語だけ訳した文節をとってつけたかのようです。

Google翻訳も同様に今一歩及ばずという評価ですが、ひとつ興味深い点があります。それは「構いません」という言葉。訳語と原文を突き合わせるとこの部分は「should be」の訳語と考えられますが、基本的には「~するべきだ」という義務を表したり、「~するだろう」という推測を表したりする「should」の訳語に、あたかも許可を与えるような言葉を当てはめたのは不思議です。

全くでたらめに当てはめたものでもないだろうと考えてみて、思い当たった一つの可能性が、訳語にも省略表現を使っているという可能性。つまり、「置き換えられることができる教師は誰でも(置き換えられてしまって)構いません」と書こうとしたのではないか。

無理のある解釈ということは重々承知ですが、こう解釈すると原文のニュアンスを適度に反映した訳になります。原文は!マークで終わっていて強い語調で言い放つような印象です。しかし、構いません、と丁寧な口調で終わるこの訳文には言葉の勢いがない代わりに、機械で代用できるような教師ばかりがいるような未来は見たくないがそうなるならそれは仕方ない、とでも言いたげな諦念が感じ取れる言葉遣いになっています。

もちろん、そのような教師を語気荒く非難するような原文のニュアンスを歪めてしまっているのだから、こう解釈しても結局問題のある訳です。しかし、良いか悪いかを抜きにすれば、静かに世間に背を向けるようなこの訳文の味わいは個人的に捨てがたいものです。

Wired誌の記事によれば、パソコンさえ影も形もなかった1974年当時、クラーク氏はすでにコンピューターとネットワークが普及した時代についての予想を、まるで見てきたように的確に語ったと言います。豊かな科学的知識と深い洞察力を備えたクラーク氏ならではのエピソードと言えるでしょう。

クラーク氏は想像していたでしょうか。21世紀には自分の書いた言葉を機械が「読む」ようになり、その言葉が機械の弱みを白日の下にさらすということを。

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